最後に

以上四つが大まかな基礎レッスン内容になり、加えて個々の状態によってレッスンメニューを決めていくことになります。

Griffithでは学校形式によるカリキュラム消化型のレッスンは一切行いません。個々で違う俳優の資質、課題に対して共通したレッスンメニューによって対応する事ほど愚かなことは無いと考えているからです。

基礎レッスンについて簡単なことだと思われましたか?
簡単だと思われた方は奇跡的な天才か演技について極めて無知かのどちらかです。この四つについて、現在の日本のプロ俳優で何人出来ている者がいるかと言えば、非常に少ないと言わざるえません。

良き俳優になるために最も必要な事とは「言葉の装飾によって塗り固められた難解な理論」を理解出来るようになることではありません。重要なのはシンプルな基礎をどこまで深く探究し、身に付けることが出来るかに尽きると言えるでしょう。基礎とは「初心者が最初にする事」という意味ではありません。演技の根本にあるベースであり、引退するまで磨き続ける必要があるのが基礎なのです。

また、トレーニングはその意味について感覚的に理解して行わなければなりません。「何の為にそれをやるのか」「それをやればどうなるのか」という事を明確に知っていなければトレーニングは無意味です。この当たり前の事が余りにも不明虜であるケースが多い事が、日本の俳優教育の大きな欠陥の一つです。

最後にGriffithの演技についての考え方を簡単に書いておきます。演技とは役の心理を俳優によって描写し続ける事です。
つまり、動こうが、止まろうが、喋ろうが、劇中に居る間俳優は役の心理に基づいて存在し続けなければなりません。これは日本の多くの俳優が苦手とてしいる事です。台詞・動き・表情といった物を分断して演技を考える傾向が強いことがその理由です。欧米の俳優に比べて日本人俳優の多くがリアルな演技を苦手とする原因、また、現在の日本に名優が極端に少ない原因の一つでもあります。

Griffithでは名優へ至る俳優の育成を目的としています。

よく「プロとしてやるべき事をやる」というようなキレイ言を言う俳優がいます。また、アマチュアの俳優たちは「プロを目指す」と言います。プロとは何でしょうか?

断言します。「旨い料理を作る料理人」も「不味い料理を作る料理人」も同じプロの料理人なのです。
重要なのは旨い料理が作れるかどうか。これは俳優にとっても全く同じことです。

名優を目指す皆さんと共にGriffithは演技について考え、そして作品を創っていきたいと考えています。