リラックス

俳優が演技を行う上で最初の難関であり、死ぬまで課題となり続けるのが「リラックス」するという事です。リラックスした状態でなければ自然に体を動かし、自然にセリフを喋ることは出来ませんから、これは当たり前の事とも言えます。

しかし、この当たり前の事が非常に難しいのです。
 1968年に『ファニー・ガール』でアカデミー主演女優賞を受賞したバーブラ・ストライサンドは演技時の緊張によって<涙を流して泣くという演技が出来ないという弱点を持っていました。この為1973年に彼女が主演した映画「追憶」では監督のシドニー・ポラックは独自の演出によってストライサンドをリラックスさせて泣く芝居を見事に演じさせることに導きます。ストライサンドは映画だけでなく、ブロードウェイの舞台で活躍し、歌手としてもグラミー賞を受賞したほどの超一流エンタティナーです。
そのストライサンドですらリラックスして演技に臨むという事は簡単では無かったのです。

また、往年の大女優ローレン・バコールの代名詞となった顎を引いて伏目がちで相手に眼差しを送るポーズは、元々は緊張で首に震えが出るのを隠すためにやっていたものでした。19歳でハワード・ホークス監督の「脱出」でデビューし、ハンフリー・ボガートやウォルター・ブレナンといった大物俳優たちを相手に新人とは思えない堂々たる演技を見せたバコールも緊張という難敵と人知れず苦闘していたのです。

ストライサンドやバコールでさえリラックスする為に苦闘したくらいですから、映画やテレビドラマの常連俳優たちの中にもリラックスして演技に臨むことが出来ない人は沢山います。その結果、本人の持つ個性や表現力の半分も発揮することが出来ず、観客に対する印象を薄くしてしまっています。
 俳優がリラックスして演技に臨めない理由は様々ですが、その代表的なモノが役を演じようとする気負いによって体が“悪しき緊張を起こしてしまう状態です。これは“集中する事”を気負う事”と誤解してしまっている俳優、本番へのプレッシャーによって演技することが大きな義務になってしまっている俳優によく見られます。特に日本の俳優指導には不条理な「気合いと根性主義」が今だ根強い部分があり、それが「悪しき緊張」と「俳優の思考力の硬直」の大きな原因の一つとなっています。

この“悪い意味での緊張は「体を動かし、台詞を話す」という実際の演技の前段階に発生してしまう事もあります。これは台本を初めて読む際に自分の役を掴もうとする意識が強すぎて「台本を緊張状態で読んでしまう」という状態です。この状態に陥ってしまった俳優は台本から「物語と役を感じる事」より「物語と役について無駄に考える」ことを優先させてしまうことになります。こうなってしまうと役と作品に対して素直に感じたり、冷静に考えたりすることは不可能になり「役が掴めない、判らない」という苦しい状態が延々と続くことになります。

その他リラックス出来ないケースというのは様々ですが、自然に感じて表現することから演技というものは始まりますから、リラックス出来ないということは俳優にとって致命的な弊害になってしまいます。

ここで、リラックスによる効果の判り易い例を上げておきます。
ブレイク・エドワーズ監督の「ティファニーで朝食を」の最初の方に寝起きのオードリー・ヘップバーンが動きながら台詞を話すシーンがあります。
このシーンはヘップバーン演じる主人公ホリーというキャラクターの奔放さ、可愛らしさを観客に強く印象付けるシーンなのですが、それをオードリーは見事に演じてみせます。ここでのヘップバーンの演技の最も注目すべき部分はクルクルと豊かに表情を変えながら自然に動き話す芝居をしているところです。かなりの長台詞にもかかわらず全く淀みも力みもありません。その見事な演技からヘップバーンのリラックスした状態がよく分かります。

さて、この演技を行う上でのポイントは「寝起き」「日常会話」「部屋の中を歩き回る」という三点にあります。

この二つの条件を踏まえて動きながらの長台詞、ということです。この条件で表情豊かに自然に演じる事は簡単ではありません。
 これはある程度の演技経験のある人なら誰でも分かると思います。
 演技経験の浅い人は試しにマネしてやってみて下さい。落ちついているつもりでも話し始めると首に力が入り、首を気にすると台詞が流れがちになります。

ヘップバーンは一見何気ないように見えて難しい芝居を上手く自分をリラックスさせる事によって見事に演じているのです。彼女は「スクリーンの妖精」と言われたカリスマ性のあるキャラクターによって成功したかのように思われていますが、これは全くの素人考えです。彼女が成功したのは自分の持つキャラクターをフルに発揮することが出来る演技術をキチンと身に付けていたからなのです。
その演技術の基本がリラックスというわけです。