台詞

言うまでも無く台詞術は演技者にとって最も重要な技術の一つです。

ここで重要なのは「台詞術と動きを別に考えてはならない」という事です。演技を動き(止まっている状態含む)、台詞、表情といった形で分けて考える所から嘘クサイ型芝居が始まることになります。この三つは全て必然的に連動していなければなりません。

それにも関わらず「台詞術」という形でカテゴリーを作っている理由は台詞術が全く無しだとイメージ(感情)がハッキリと俳優の中にあっても、それを説得力のある言葉(台詞)として喋る事が難しくなってしまうからです。

この台詞術には呼吸・発声・滑舌も当然含まれます。この三つは俳優がイメージを具現化する上で極めて重要な技術になります。この三つについて「遠くへ声を飛ばす」「言葉を明瞭にする」といった単純な認識が蔓延している事自体が大きな間違いです。この三つは舞台俳優の専売特許では無く、映像での演技でも極めて重要な技術となります。つまり俳優には欠かせないという事です。

レッスンでは台詞を型にはめて喋ることは行いません。普段の自分と同じ喋り方”で台詞を話させる事からレッスンは始められます。普段と同じように喋ることで台詞を自分の言葉として自然に話す感覚を身に付けさせることが目的です。この感覚で台詞を喋ることが出来るようになると「リアリティのあり感情がこもった台詞」、つまり生々しい台詞を話すことが出来るようになる第一歩です。
 この感覚が身に付くまで抑揚やメリハリを意図的にコントロールすることは絶対にやらせません。抑揚やメリハリを付けることによって安易に台詞をコントロールする事を覚えると芝居がかったクサイ台詞しか言えなくなってしまうからです。また、音をコントロールする事を主眼に置いて台詞を考えた時点で俳優の想像力は駄目になっていきます。

ここで自然な喋り方について考えて欲しいことがあります。

テレビのニュース映像で地震や大水害などの被災者のインタビューが流れることがありますね。被災者たちは発声、呼吸、滑舌などについての訓練など受けたことも無く、また言葉 に芝居的な抑揚をつけて喋るということなど決してしません。当たり前の事ですね。ところが、彼らの口から語られる言葉からは被災による苦しさ、辛さ、怖さというものが切々と伝わってきます。これは特別な話法を使うより、心情を自分の言葉で自然に率直に語っているから伝わるのですね。

では、自分が日常使っているように自然に喋りさえすれば巧く台詞が言えるようになるのでしょうかか?答えはノーです。プライベートな自分と役の人物というのは当然ながら性格、人格が違いますからそのままでは駄目です。重要なのは普段の自分と同じように話せるという感覚なのです。

今ままで書いた三つのレッスンは地味で忍耐力を必要とされるレッスンです。また、一朝一夕で身につくものではありません。これらのレッスンは稽古場だけではなく、毎日の日常の中で徹底的にやってもらうことになります。

勿論、上記のレッスンで行った事をある程度出来るようになったからといって、すぐに説得力のある演技が出来るようになる程甘いものではありません。

次の段階では俳優にとって最も重要なイメージ力を養い広めるレッスンへと移行していきます。