自然体による演技法

映像(映画・テレビ)において最も適した演技法を仮に一言で言い表すとすれば「自然体によって行う感情表現」、つまり自然体での演技という事になります。ここで言う「自然体」とはリアル(現実的)、リラックス、無理に作らない、という意味を含んでいます。

この自然体での演技というのは何も映像に限った演技法ではありません。
自然体をベースにした演技法は映像、舞台を問わずを問わず俳優が観客に感情を伝える上で最も有効な演技法だということが言えます。但し、大劇場だと1000人以上、小劇場でも100人の観客に対して俳優が生で表現する舞台表現と、スクリーンに拡大された俳優の姿が映し出される映像表現では演技思想が同じであっても表現の仕方が変わってくる事になります。

Griffithでは映像における演技に焦点を当てた演技メソッドによってレッスンを進めていきます。
このメソッドの最大の特徴は演技者の感覚を徹底的に重視するという部分です。

演技というものを究極に突き詰めて一言で言い表すとすれば、それは[感覚]以外の何物でもありません。
例えば多くの俳優は脚本を手渡され時に役を掴みとろうとして懸命に考えます。また、ある種の演技法では役について徹底的に思考することを奨励しています。これは悪いことではありませんし、考えることは大事な事です。
しかし、この「考える」という行為が行き過ぎた俳優は感覚的にモノを感じ考える事が出来なくなっていくという悪しき傾向があります。簡単に言えば無駄に考え過ぎて頭が硬直しまうという事ですね。
そうなれば、当たり前のことですが演技に柔軟性を欠き型通りのつまらない芝居しか出来なくなってしまいます。
無駄な動きが多いクサイ芝居ということですね。こうなってしまうと繊細で微妙な演技というのは不可能になります。これは現在のストレートプレイを演じる多くの俳優に見られる傾向です。

ここで感覚を重視した演技の判りやすい例を紹介しておきます。昔から「コメディアンやコメディエンヌは芸達者で演技が巧い」と言われてきました。伴淳三郎、森繁久彌、ジャック・レモン、ゴールディ・ホーン、ピーター・セラーズetc。

こうした人々は最初は喜劇俳優と呼ばれ、その後驚くほど幅広い役柄を見事に演じていった俳優たちです。中でもピーター・セラーズはスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」の中で一人4役という常識では決して考えられない驚くべき演技巧者ぶりを披露しています。

こうした俳優たちの最大の特徴は反応(演技における)のズバ抜けた速さです。
彼らはその場その場で「状況」「相手の感情」「自分の内面」に敏感に、そして瞬時に反応して演技表現を行っていきます。
この反応速度を抜きにして、彼らの芸達者ぶりは成り立ちません。勿論、この素晴らしい反応速度はコメディだけでなくあらゆるジャンルの芝居を行うのに大きな力を発揮します。

何故、彼らは人並み外れた反応速度を持つ事が出来るのでしょうか?
「才能」というのは答えになっていません。答えは「自然体」と「感覚」です。設計図に忠実に演じていくのではなく、自然にその場に「存在」しているからこそ、その場の状況を敏感に感じ取り瞬時に反応することが出来るのです。
この瞬時に反応出来るという事がリアリティのある見事な演技を可能にする大きな原動力になります。
映像における演技の最も怖い部分というのは観客が舞台以上にお約束が排除されたリアリティを作品に求めること、そして、俳優のアップがあるという事です。それは繊細で微妙な演技が徹底して求められるという事です。この繊細で微妙な感情表現というものは総て感覚によって創られていくものです。呼吸術、発声術、肉体のコントロールなどといった技術をいくら磨いたところで、それを駆使していく微妙な感覚がなければ全ては無駄といっても良いでしょう。

自然体による演技法とは[感覚]的にモノを感じ考えるところから始まります。「考えるのではなく、まず感じろ」という事をベースに置いてGriffithのメソッドはスタートします。 では、レッスンの基礎ステップについて簡単に解説します。