演出家を探すということ

「ただ我々の曖昧で散漫な教育が人間を不確かなものにする」
【ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ】

 このゲーテの言葉の「教育」を演出に、「人間」を俳優に置き換えてみると、俳優のレベル向上に最も必要なものが何であるかという事が明白になる。

 演技に限った話では無く、技術というモノはそれを必要とする高いニーズ(要求)によってしか高まることは無い。
 俳優に対してニーズを出すのは誰だろうか?
 観客では無い。演出家である。
 映画であろうが舞台であろうが、演技に対して最終的にOKを出すのが演出家である以上、ニーズを出すのも演出家なのだ。
 このニーズというヤツは実にやっかいだ。ニーズには「高い」「低い」の他に「無茶」というのも存在する。
 映画「スター・ウォーズ」の撮影現場でハリソン・フォードはルーカスが要求する幼稚な台詞の連発に「もう、いい加減にしてくれ」と怒ったと言う。当時のフォードが無名だった事を考えると、ルーカスのニーズが余程の無茶だった可能性は充分にある。
 つまり、貧乏俳優が数十万ドル貰っても言いたく無い程の台詞だったという事だ。
 映画「ドクトル・ジバゴ」の中でオマー・シャリフがデビッド・リーンから受けたニーズは「何もするな」の連続だった。
 この指示の恐ろしさは俳優であれば誰でも分かるだろう。シャリフは凄まじい不安感と闘いながらこれをやり遂げた。巨匠の高いニーズに応えきった彼は喝采と新たな演技の可能性を手にする。
 こうした様々なニーズの嵐は俳優が引退するまで続いて行く。

 俳優にとって最大の悲劇とはこの嵐の中に一度も高いニーズが存在しないことである。どんな演技メソッドを学ぼうが、どれだけ努力しようが、高いニーズがなければ俳優の成長の限界は早く訪れる。
 ここが俳優稼業の難しいところだ。生活の為の小商いばかりしていては成長は望めない。だからといって、お金が無くては生活は出来ない。また、こういう問題に対しては大体において事務所は無力というものだ。まだ売れていない俳優、デビュー前の俳優にとってはこの問題は更に深刻になる。
 結局のところ、これを解決しようとする方法は一つ。
 俳優は自分を成長させ得る高いニーズを要求する演出家を探し求め続けなければならない、という事になる。
 「何だ、そんな当たり前のことか」
 と、ここまで読んだ方は思うだろうか。多分、余程の素人で無い限りは思わないだろう。
 「自分を成長させる演出家探し」が、いかに大変であり、それをやり続けている俳優がいかに少ないかを、ある程度のキャリアがある俳優なら分かるはずだ。
 そう。これは大変な事だ。大変な事だが、やり続けるしかない。若きマーロン・ブランドがエリア・カザンと出会う事が無ければ、若き三船敏郎が黒澤明と出会うことが無かったら、間違い無く彼らの俳優人生は変わっていただろう。

 断言するが、かつての石原裕次郎のようなタイプの俳優がスターのまま生涯を終える事が出来たのは「時代の助け」という名の運の力が大きい。娯楽が凄まじく多様化し、観客の移り気傾向が昔より強くなった現代においては昔以上に「俳優の成長」は「俳優の生き残り」と直結してくる。
 これはある女優が私に語った話だ。
 「若い頃は本(台本)があるのが当たり前で、毎週事務所に2、3冊の本が来てました。その頃は本はマネージャーが持ってくるものだと思ってて、自分で取りに行くなんて思った事もありません。それが、20代中盤過ぎた頃から急に本が来なくなってしまって。結局、何も分かって無かったんです。周りは売れてる時はチヤホヤしても、何も教えてはくれなかった」
 よくある話だが、それでも新たに聞く度に憤怒を禁じ得ない。彼女に責任が無い訳ではない。だが、礼儀と人間関係をほざくわりには最も大事なことを教えない関係者こそA級戦犯だと私は思う。
 演出家を探すのは向上の為だけではない。
 生き残りの為でもあるのだ。

>>第15回 すべてを知る必要はない